こんにちは
今日、阪神大震災から20年
あの日の今頃は親の車の中
学校が休みなのかどうか悩んでいたけど
学校に行けと言われるのが不安で休みかどうか口に出せない状況でした
今考えれば事態の大きさを全く理解できていませんでした
そのあと、流れてくる状況を見ても
これが本当に自分の知っている場所で起こっていることかと
理解出来ていなかったかもしれません
20年という節目もあって
阪神大震災の特集がテレビでよく流れています
あの頃の思いとは全く違う感情が
ここ数年しています
流れてくるニュースの中で年齢が50~60代の方々
20年前の年齢は、今の自分と同世代
今、この年齢であの震災を経験していると
前向きに物事と捉えるのにどれだけの時間がかかるのかな?と
ボランティアで訪れていた母校の小学校
そこの避難所で子供よりも大人の人たちの方が
情緒不安定でうろたえていたように感じていましたが
その不安感が今では少し想像できます
これから生きていけないといけない
生かしていかないといけない
将来への不安や迷いは
子供世代には到底理解できないほどの大きさだったんだろうと
今は少し想像できます
さらに家族を失われた方の喪失感は
今でも想像できないほど大きかったと思います
震災を経験したとはいえ
何一つ失うことのなかった自分にとっては
震災はどんどんと過去になっていますが
20年たった今でも震災が現実に近い方々がいる
ということを20年の節目に改めて感じます
今年の成人式では
震災後に生まれた子供たちも居て
来年以降は全員震災以後の子供たち
その子たちにとって
阪神大震災は記事や歴史でしかない
現実に起こったことでも知らなければそれは文字でしかない
自分たちの世代にとっての戦争がそれに当たるのかもしれません
ただ親やその上の世代の方々に戦争の話を聞いて
想像できないまでも
文字から現実に出来ているところが少しはあるかもしれません
阪神大震災に関しても
同様に伝えていかないといけないことが沢山あるとように思います
東日本大震災があり
阪神大震災という経験がいままた必要になってきていると感じます
どう進めていくのか
どう向き合っていくのか
それを必要としている場所や人がいるように感じます
今後、また必要になることもある可能性が0でない以上
経験を伝える必要はあると思います
20年前から定着したものも多くあって
それらを繋ぐことでさらに進化していくかもしれない
経験を需要する方にとって今はなんでも手に入りやすい時代になりました
ただ大量の情報の中で何を受容するかは
受け取り手に委ねられていて
いくらでも偏向した考えを手にすることが出来る
考えは勿論、経験さえ両極端の側面があって
見る側からすれば正しく映る像も
反対から見れば全否定できる
そんな情報が溢れている中
経験を伝える必要性は増しているように思います
生の実体験を知る機会を
需要側からではなく供給側から提供しないと
今はどんどん偏向しやすい時代になってしまっているので
伝える必要性は一昔前よりも
情報量の多い今の時代の方がむしろ大きいと感じます
時間はどんどん進んでいる
20年
文字では絶対に伝わらない
時間の積み重ねを
繋いでいく義務が
自分たちにもある
ように思います
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