相変わらず日曜日なのにやること満載
むしろ日曜日だからやる事が多いのか?
予定の組み方が悪すぎるのか?
ま〜日曜しか予定が空かない方も居るので
そこに入らせてもらうのはありがたい話
もうちょっとこんなペースで頑張りますw
この一週間
大阪都構想の住民投票反対について
いろいろと考えさせられました
政策の不備を言い出す方のブログなども拝見し
それと協定書を見比べたりしても
不備=言いがかりなものが大半で
上げらている不備は社会不安と同等なので
政策の不備ではないことが自分なりに明らかになりましたし
一人のパーソナリティな資質に頼っていた
今後についても考えたり
パーソナリティに頼らない為の施策が
パーソナルだという理由で反対されると言う
いかにも日本の風土らしい叙情的な流れ
誰だからなんて言い出したら
そもそも民主主義がなりたたないと思いますが
近代民主主義のほとんどが
大きな転換期や原因にパーソナリティを要することを考えると
近代民主主義と中国的共産主義はほぼ同義となっていると感じます
ドラスティックに物事を変えるのは
共産的な考えの方がより効率的ですが
批判や議論によって物事を進化適正にしていくには
民主的な行為も必要なので
近代国家は考え方としての矛盾があり
とても複雑になっていると感じました
矛盾を抱えながらも民主国家において
選挙結果は尊重されるべきですし
判断が間違っていたのか正しかったのかは
将来にわたり判断されるべきことで
もっと言えば
反対であれ賛成であれ
今現在の判断は
将来でる未来の結果には何一つ寄与しない
それほどに未来は不確定ですし
だからこそ想像の範囲が異なる場合現状が支持される結果になると考えます
ただ一つ言える事は
今後関西はもとより全国的にも
変革や改革の波が地方から起こる事はまず無い
それほどに強力なタレント性とスター性を持った政治家が覆された
結果は重い
誰が好き好んであのような場面を設定するのか
普通に考えれば
橋下市長以上のパーソナリティが必要になるし
当の橋下市長でさえ次同じような事をする時は
今回以上の力が必要だと考えれば
よほどの事がない限りやることはないと想像に難くない
維新の党の新党首である松野さんが言っていた
『何になりたい』ではなく『何をしたい』
そういう意思で政治家をしていた稀有な存在である人が
「何をしたい」で負ければ
政治家になりたい人に何か出来るとはとても思えませんし
「何かする」時はそれ相応の自分達には関係ない「何か」
があるように思えるという思考的バイアスがかかって
結局「何もしない」が選択されていく社会
になっていきそうで
なかなか絶望的で手遅れ感が半端ないですが
選んだ未来がどうなるか
それはだれにもわからない
とりあえず自分も含めて
自分なりの頑張りで一日を積み重ねて行くしかないのかな
と考えます
ワンポイントリリーフ
確かにパーソナリティに頼っている時点でそうなんですが
そのワンポイントは残されたまま
まだ終わっていないと思いますね
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